釣り道を語る ~ゲームの主導権~

インビクタスという映画がある。

 

 


これはネルソン・マンデラ南アフリカ共和国の大統領に就任した直後、黒人と白人が一つになる象徴として、1995年ラグビーW杯に、同国では初の人種の隔たりを除外したチームが挑んだ内実を描いたストーリーであった。


その映画のコピーにあった一文

「 私は我が運命の支配者、我が魂の指揮官である 」

この映画内で使用された曲からとられたフレーズに共感を覚え、揺らぐ意思に打つ楔として記憶している。





帰るという決断


例えば最近、クルクルバチを見ていない。
当然、それに伴う爆釣だなんだというフレーズには縁がない。

その結果、運動不足解消に雨乞いと、風神の舞を週末や潮周りの良い日には行う事にしているが、効果が出ているかどうかは私には解らない。

だけれども坊主と言うワードにも縁がない。


なぜか


特別に上手いわけでも、引き出しが多い訳でもなく、釣りをしないからだ。
水辺に立って、現況を判断した上で、釣りを全くしないで帰るからだ。


だからボウズにはならない。



主導権


自然は思うようにならない。
読んで字の如く、正にあるがままの状態を意味する。

だからといって、こちらも、やらなければならない理由は何もない。
それに付き合わなければいけない、何て事は無い。

勿論、渋いゲームでもしたいと言うなら、やればいいし、釣りをする事が目的でも構わないと思う。

ただ、あくまでも最終決定する権限は自分にある事は忘れたくは無い。
自然だから仕方ないでスタートは切らない。



自然を相手にする、自然に対する、と言うのはこう言う事で、

つまり主導権を失うと言う事は自分までも自然に取り込まれてしまう行為では無いかと思う。

 

 

P.S 2017

 

絶対にその日にやらないといけない釣りって、つまりはヒトに主導権の無い釣りなんですよね。

 

正しい選択

数フレーム、1秒の数分の1が勝敗を分ける世界、世界的にもっとも人気が高いと言ってもいいジャンルのゲーム、

ファーストパーソンシューティング における、とある場面。


狭い空間で発生した、いわゆる遭遇戦闘。


幸運にも、コンタクトした瞬間の立ち位置が良かった。

1対2の状況でダブルキルに成功。


だが、すぐさまに接近する敵の気配がある。

威力が高いメイン武装のマガジン内、残弾は3発。




ここで選択を迫られる



① このまま残弾が少ないメイン武装で接敵する。

→ ノーミスの高難易度プレーが要求される。


② 威力が低い複武装に交換する。

→ 相手が自分と同じ程度の技術であった場合、100%負ける。


③ 一定時間何も出来なくなるが、メイン武装を弾薬交換する。

→ 相手の技術水準が一定以上あれば、何も出来ずにやられる。






① を選択した。


①と③がどちらかというとゼロを起こしやすいリスキープレーだとすると、②は一定量が保障されたアベレージプレーと言える。


ただ、多少の運はどれも必要だが、自分さえミスをしなければ、・・・結果に対して主導権を握る選択肢は①と言える。

技術的な難易度(リスク)を支払うことで、結果に対して、出来るだけ自分のパーセンテージが高いのが①と言える。




①と言う決断、果たして・・・


数秒もなく接敵。
サイトに敵をとらえた瞬間に、大きな発射ブラストが見えた。


グレネード厨だ!

これは火力の高い、爆発兵器を自己被弾も無視して、接近戦でも積極的に使用する手法。

メリットは敵に狙いを正確にあわせる技術が無くても遭遇戦で高い勝率を得られる事。



タタン・・!

相手の放ったグレネードは遥か後方で爆発、行き違いに放たれたメイン武装の弾丸でヘッドショットに成功し、トリプルキル。




正解か?


結果的には不正解だった。


接近していた敵は2人いた。

先に遭遇したグレネード厨を倒した直後、メイン武装の弾薬交換中に、更にもう一人敵が現われ、使用出来ないメイン武装から複武装に切り替えたが、火力負けでやられた。


では何が正解だったのか。

選択肢としてはベターは③だと思う。


まず最初に遭遇したのはグレネード厨だった点が重要となる。

ここでは例えどんな選択肢を選ぼうと、相手が的確にグレネードを打てば100%負ける。
そして同時に、相手がミスをすればどの選択肢でも、100%勝てる。

それならば、次、その後にベストの備えが出来るのは間違いなく③なのである。


つまり、今回に関しては何をやっても運任せに過ぎないので、後の先を取りに行く選択が正解だった。




勿論これは結果論である


確率論としてゲーム内の傾向として、グレネード厨が高い傾向でもあれば別だが、熟練プレイヤーで③を選ぶ人は先ずいない。

それは トータルの確率で見れば、①か②を選択した方が、勝率が良くなるからだ。



昔、スロットマシンで副収入を得ていた時代に、高確率で当たりが出やすい台を引いても、全然アタリが引けないと言う事が何度もあった。

これはサイコロで1が10回振っても出ない事もある様な話。




1年半の内410日、ホールでパチスロ打つと言う意味


ここでその場限りの勝利を求める人は台を移動する。

その移動した先の台で勝てば後付で理由を付けるが、その実、明確な根拠はない。


だけど、トータルで勝つ事を考えていれば、高確率台を打っている確信がある時、絶対に移動しない。

例えその日がどう終わろうと。


そう言った大局で考えられずに、心で行動がブレてしまい、高確率で当りを引ける台を放すような人(その場限りの勝利を求める人)は毎日、年間100日、200日ホールに来れなくなる。

トータルで損をして、お金が無くなるから。

 

判断が生存という最終結果へとシビアに反映されていく勝負の世界において、淘汰されずに生き残っていくとはこういう事。




日本最強の格闘プロゲーマーにして、ギネスブックにも載った梅原大吾の著書を読んで、共感する部分があった。

 

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

勝ち続ける意志力 (小学館101新書)

 

 

 

この記事は、以前に他所で書いていた記事をリライトした物です。

 

ワンカレント(One Current 125F)がヤバくね アブガルシア(AbuGarcia)シーバス向けルアー

既に市場デビューしているシーバス用ルアーのワンカレント(One Current 125F)はヤバいと直感的に思ったので、まとめた。

 

 

One Current 125F

 

 

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ピュア・フィッシング・ジャパン/アブガルシア(AbuGarcia)

http://www.purefishing.jp/product/brand/abugarcia/a_bait/salt_lure/one_current_125f.html

 

 

アブガルシア(ピュア・フィッシング・ジャパン)から、この秋に登場した、ザ・秋らしい125mmで18gなフローティングのリップレスミノー、フックは3本搭載。

 

今更、説明も不要だと思うけど、シーバス業界で売り出したルアーの量はトップレベルな村岡昌憲が監修している。

 

対象のエリアは、ネーミングを見ての通り、河川に重点を置いているが、飛距離を活かしてサーフや磯でも使えるとなっている。

 

リトリーブした際の潜行する水深はスペック上では50~80cm、MAXで1mまで入るとのことで、いわゆる尻尾の振るようなウォブリングがベース。

 

 

 

実際に投げてみた感想

 

 

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この間、利根川で30分程度と、夕マヅメのサーフで20分程度使った。

 

どちらも、残念なくらいに流れがなくて、ワンカレントどころかノーカレントだった訳だがそれは別にして使用した感触を説明したい。

 

 

先ず、製品ページでも説明があるのだが、確かにリップレスにしては巻けばしっかりとレンジ(潜行水深)が入り、アクションの強さも出せる。

 

端的に、リトリーブした際の印象としてはサスケ120あたりに近い。

 

www.ima-ams.co.jp

 

アクションを水中撮影した動画はこちら

 

www.youtube.com

 

 

動画では解らない特筆する点としては、飛距離というよりも、キャスト時の性能というのが正しく、それは以下の点においてである。

 

 

あくまで、現在のシーバスゲームの基準だと、125mmのフローティングミノーをフルキャストするには若干パワー不足な86ML、バーサタイルな(万能性を求めた)ロッドを使用していた上での感想になるが、

 

重量の割には細見のボディな事も影響しているのかは不明だが、問題なく振り抜ける感覚がある。

 

 

また、ウェイトボール2個の重心移動によるものとは断定は出来ないが、飛行姿勢の安定性は、現代的水準であり、多少のミスがあっても綺麗な姿勢で飛んで行くという要素を含め、ルアーの飛距離に関して安定することで、

 

最長飛距離だけでなく、1ゲームで数十キャストする、そのトータルでの総飛行距離にかなりの恩恵が有るだろう。

 

以上の2点から、投げていて気持ちがいいルアーであると言える。

 

 

 

一番やばい点

 

熟練者で、おわかりの方は既にいるだろうが、これは特別なルアーではない。

 

必要な性能が平均値以上でまとまっている、という意味で、極めて実務的なルアーと言える。

 

フックも壊れるまでは最初から装着されている標準ので問題がないと思う、3フックは嫌いだが。

 

 

何がヤバい?

 

 

どう見たって金額がヤバい。

 

ワンカレントどころか、ワンサウザントなのである、これだけの性能で。

このサイズは市場だと、2倍のお値段なルアーも少なくない。

 

Abu Garcia(アブ・ガルシア) ルアー ワンカレント125F SSOC125F-IWS .

Abu Garcia(アブ・ガルシア) ルアー ワンカレント125F SSOC125F-IWS .

 

 

 

聞いた情報なのだが、店頭だと 800円 で売ってる所もあるようだ…

 

 

バスの冷え込みを救ったソルトルアーブームが一巡して、昔ほどなんでも売れなくなりつつ有る、という影響が背景にはあると思う。

 

性能的発展が見込めないなら価格勝負だ、みたいなのはスマートフォンでも今起きている2極化の流れである。

 

 

その先鋒にいるのが、タカミヤ(釣具のポイント)であり、オリジナルブランドで、かなりのハイコストパフォーマンス製品を供給しているのだけど、それと並べられる事を考えると、釣具メーカーも対抗していかないといけない空気になってきてるんだろうか。

 

この性能と価格からなるコスパは、タカミヤのブランド、FALKENシリーズのコスパと近いものが有る。

 

ガンシ…によく似ているメバル用ルアー 

 

 

お目もパッチリな小さいハウン…お、おう…

TAKAMIYA(タカミヤ) ルアー FALKEN R SOARING 98F UVボラ

TAKAMIYA(タカミヤ) ルアー FALKEN R SOARING 98F UVボラ

 

 

 

超こだわり派のニッチ層、やりこまないライト層というに市場の二極化は、何の趣味でも起きるものだとして、コスパ系製品の性能が上がれば上がるほど、結果としてニッチ層市場は狭まっていくゼロサムなゲームであり、

 

この1,2年を見るに、それは明らかに一段と狭まった感があるように感じる。

 

ゆえに近年で話題な商品をみると、ジョイクロのようなルアーが話題になったり、ベイトロッドであり、スネコンなどもそうであるし、今後、より一層、特別感がない商品はニッチ層では売れなくなるんじゃないだろうか。

 

 

晩夏のフカセ釣り

twitterで全てを伝えるには長くなりそうなのでブログにまとめる事にした。

 

今回の釣りは、2つの誤算から始まった。

 

9月の中旬、真夏の暑さも薄れた事もあり、以前よりチヌをメインとした堤防フカセ釣りで訪れたいと考えていた、とある堤防に行く事にした。

 

 

さて、公共交通機関で釣りに行く上で、釣り場の近隣がベターではあるが、もしくは経路上に、集魚剤を購入可能な釣り具店があるかどうかは重要な要素である。

 

今回のキッカケとして、これが先ずクリアしたという条件があったのだが…。

 

誤算、その一

 

facebookを見る限り、その釣具店に定休日はなく、木曜だけは13時まで、となっていた筈なのだが、訪れた私の眼前には、平日は13時までと店前の看板では告示され、所狭しとルアーから船釣り、磯釣りの道具が並ぶ店内ではなく、クリーム色のシャッターだけが存在した。

 

「あ、開けてくださいっ! 大西がっ!大西が落ちていたドッグフードを食べて急病なんです!」

 

と生放送でもしていればシャッターを叩く意味もあっただろうが、観客なきボケはただの奇行であり、とにかく餌が買える釣り具店の側にするしかない別プランに変更せざるを得なかった。

 

リカバリーが効いた理由としては、釣り場の近隣ではなく、経路上の早い段階で餌を確保する予定だったこともあり、事なきを得た。

 

 

誤算 その二

 

軌道修正した先で釣り餌も無事購入し、釣り場に向かった。

 

集魚剤として、浅い事から『爆寄せグレ』、そして今回はサナギ中心で考えていた事から、『荒びきサナギ』、これにまいばすけっとで購入した人間が食用の『スイートコーン』を2パック(付餌に一握り取る)を足した。

 

付餌は他にサナギをひとパック購入。

 

さあ、コマセも仕掛けも整い、行くか!と言う所で過去最悪の誤算が発覚した。

 

たも網はあるけど、棒がない…。

 

どうすんだこれ。

 

冷静に考えた結論として『ハリス二号あるし、よほどのことがない限り抜き上げられるだろ』と言うことで、ゴロタメジナをやる様な、道糸3号、ハリス2号で釣りを開始する事にした。

 

 

釣り人あるある

【 そういう時に限って …】

 

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磯の上に建てた様な堤防で、随所にシモリがあり、水深は干潮な事もあり2メートル前後、透明度は高く、向かいの強い南風が無ければ、かなり先の底まで見えるだろう。

 

写真中央上にも、大きなシモリ根が、画像水平方向に入っており 、その手前を釣る。

 

一投目から、ウキがジワっと沈む、根掛かりか?

 

しかし、つけ餌のサナギが下半分無くなるのだ。

 

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サナギの使用経験がある人なら解るかもしれないが、非常に持ちが良い餌で、つい先日にボラしかいない不幸な海では、三度、四度と打ち直しても、つけたまま、だった。

 

 サナギは食われている?

 

一投目からの好反応に疑念を感じつつも、期待が高まった3投目だった。

 

再びウキがジワっと沈んで行く、今度は合わせずに様子を見ると、更に深く、ウキが殆ど見えなくなるまだ沈む。

 

竿を立てた瞬間、こちらが引いた力を、そのまま弾き返す様な手応えが返る。

 

期待感と共に脳裏によぎる不安。

 

だが、しばし、その不安も忘れる様な鮮烈な時間が訪れた。

 

沖だけでなく、左右にも大きく磯が張り出しており、更に、その構造は、いやらしくもオーバーハングしていて、どうぞ潜ってくださいと、言わんばかりに釣り人からは見える。

 

それを熟知している魚も左に行ってダメなら、今度は右に、と目の前を何度も左右に横切る展開が続く。

 

こう言う時に、鯉なども顕著なのだが、とにかく隙があれば魚の顔を水面から出す様に操作する。

 

ジャンプでのバラシが多い、シーバスやバス、トラウトと違い、元気なのに大人しくなる性質がある様に感じる。

 

「どうしたものか」

 

足元で、沈静化に成功した銀輪に我に返る。

困った事に、太いのである。

 

魚の重さは長さよりも、太さに占める割合が大きく、例えば70cmのシーバスでも3キロに満たない物から、時に4キロを越える個体もいる。

 

下手すりゃ3キロ以上ありそうだな、抜き上げるべく道糸を手に取り、手応えを確かめる、竿で引き抜けば折れるのは間違いない。

 

ハリス2号では、一か八かの重さを確信する、ちょっとでも歯などで傷があれば即、そこから切れるだろう。

 

グッ、魚が水から浮いた、おっ?いけるか、と思った矢先、魚が尻尾を振った事で表面張力の如く保たれていた均衡が弾けた。

 

ヒゲを生やしてしまった申し訳なさが浮かぶ

 

もう、やめるか? 

 

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殆ど投げていない大量のコマセに視線を落として考えた。

 

試しにコマセだけ撒いてみると、トンデモナイ光景を見た。

 

クロダイが水面でコマセ食っとるが!

 

 

…ポクポク……ポクポク…チーン!

 

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網はあるのだ。

 

そうだ、落としダモを急造しよう。

 

 

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若干時間がかかってしまったが、先ず5号のリーダーラインで、タモのネジ部分を固定する事に成功、次に肝心の姿勢制御と、引き上げる構造を水汲みバケツのロープで完成。

 

お、いけるんじゃね?

 

作成している間にも潮は動き、やや水深が深くなった。

 

コマセを撒いてもクロダイの姿は見えない、散ってしまったか…。

 

海の生活圏は時間割なのだ。

 

ここからは怒涛の

 

アイゴラッシュ

 

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落としダモ、完全に機能する。

 

 

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だが ツライ、ぶっちゃけクロダイより引くのである、太いし。

 

 その後、延々と、2時間当たりが出続け、そして、水面でコマセを食い出す。

 

それは流行りか、流行ってるのか!?

 

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いちいちデカイ。

 

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付餌をサナギコーンにしてみるも無駄。

 

更に半端ないサイズもいる様で、ゴロタで40のメジナをかけても平気なセッティングなのに、何も出来ずに沖の根まで走られて、道糸ごと切られてウキを無くす(´;ω;`)

 

 当たりが出すぎて、コマセより先に付餌がなくなる。

 

もうサナギも無くなったし、日も沈むし、コマセを撒かないで、コーンだけ付けて、流して見た。

 

うん?小さいのが、かかったか。

 

30オーバーも含むアイゴを2時間釣り続けたので、手の感覚がおかしい。

 

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25cmくらいのメジナである。

 

コマセいらんのかい、そもそも、コーン食うのかおまえ。

 

最後にコマセに混ぜた中からコーンを拾ってメジナ連発を楽しんだのであった。

 

落としダモを最初に閃いていれば、と後悔も浮かぶが、これはタモ柄を忘れた事も失態だが、何よりも思考停止に陥った事こそが、次回への教訓とすべきだろう。

 

帰りの電車で適当に書いた故に、誤字脱字は仕方ない。

 

 

フカセ釣りで使ってる竿

 

シマノ ロッド ボーダレス BB 磯 420M-T 4.2m

シマノ ロッド ボーダレス BB 磯 420M-T 4.2m

 

 

 

 

特攻と玉砕と八原博通

毎年、この季節になると大なり小なり話題に上がる、というか不毛な議論を見かけるテーマである。

 

先ず、神風特攻の様な作戦を企画立案した運営の話と、軍という組織の一員として命令を受けた個人では大きく異なる立場の違いを前提に置かなければ、特攻の意味や、無駄な作戦であったのか、とか言ったところで、不毛になるのは当然である。

 

それはつまり、個人として、プライベートライアンで米側兵士の間で使われていたスラングで言うと、フーバーな命令に挑む立場として意味や必要性を見出すのか、更には我々の様な未来から見て、彼らに対し、それらを汲み取り理解を示すのか、という話と、

 

奇襲としての成功体験に傾倒し、完全に対策を取られ、必ず死ぬと言う意味で、作戦に従事すれば必死を当然とする作戦としては効果が低すぎるのを解りながらも継続し続けた運営の責任であり、その作戦自体の必然性を問う議論が噛み合う訳はないのである。

 

例えば映画プライベートライアンでは、「1人の為に9人が死ぬのか」というフーバーな作戦に対し、作戦に従事した隊の隊長は「この戦争で人に話せる様な立派な事を1つくらいしたい」と本人が、運営側の意図とは異なり、落とし所を見出したシーンが描かれる。

 

それに対して、仮に作戦に従事する9人全員が戦死する確率が高いとして、「4人兄弟の内、3人が同時に死んでしまった末の弟を母親の元に返す」為に企画立案したのはどうだったのか、と言う評価をする事は、根本的に全く異なるという事だ。

 

そして、今や享年は私の半分以下の方が多い神風特攻に従事した彼らに対し、こんな作戦など無駄であったなどと言うのは、余りにも無礼であり、特攻を論じたいのであれば、決して誤解を与えない様に、そういった前提をくどい様に明示しなければならず、この部分で誤解を避ける努力が余りにも足りていない論者が目立つ。

 

特攻という行為の賛美ではない、特攻に従事するにあたり、その意味を苦しみの中で見出し、自身は必死の運命だとしても残される者に、後世に希望を託すことで、精神的な意味で死中に活を求め飛んでいった若者達に感謝の言葉を送ったり、褒め称えたとして、何が悪いのだろうか。

 

例えば、永遠のゼロで描かれるのは、この飛び立っていく人間の精神性である。

 

そして神風特攻の効果は初期段階では一体のものがあり、末期でも弾薬の損耗や、警戒体制の維持しなければならない等の効果はゼロでなかったにせよ、それらは「死んでこい」と命ずる必死の作戦の効果として妥当なのか、という点において、批判は免れないであろう。

 

そして、昨今において「特攻の賛美だ」と苛烈な批判が出るのは、戦後においてもまだ、それら作戦立案や運営に関わった生き残った側による自己保身や自己正当化が行われた結果でもあるが『本当に勝利を最後の瞬間まで追求していたのか』という点で、右翼なのか極右なのか、わからないが、そちらの方面の方々にも考えて頂きたい。

 

日本には未だに、どうせなら最後は美しく散る的な、苦しくなった勝負を途中で投げ出す、脆弱な精神を表した逃げ口上が、価値観が、根強く存在している。

 

これを戦時に色濃く反映したのが玉砕行為であり、神風特攻の効果が低いと解っていながらも継続されたのを後押しした。

 

かつて、生まれながらに身分として、持つ者と持たざる者が立場として明確な時代、『死より重い名誉』は確かに世の中に存在した。

 

しかしそれは個人、せいぜい家の話であり、国家対国家の枠組みで、全体として、チームプレーとして勝つ為には無用な概念であり、それを最優先してしまう事、それに至る選択をしてしまう、人材育成、つまり教育が間違っていると言える。

 

また映画の話となるが、ザ・グランドエスケープ(大脱走)という作品をご存知だろうか。

 

英米のスターが集結し、マックイーンの代表作となったこの作品は、第二次大戦においてドイツの捕虜収容所を舞台にした、脱獄計画をメインストーリーとしている。

 

「もし捕虜となれば、脱走を計画し、敵後方を撹乱せよ」

 

作中に何度か出てくる彼らの概念として、合理的に勝利を目指した英米は、捕虜を保護しなければならないという条約を逆手に取る教育を兵士に行なっていたのが解る。

 

全体での戦いとして、相手に負担を強いる、損耗をさせていく中で、捕虜を管理する重さを理解し、状況を最大限に利用していく。

 

これと対比すれば玉砕というのは、いかに個人的で全体での勝利を放棄した「最後まで勝算を求める行為」には程遠いだろうか。

 

ただし、これは先の特攻で述べたように、その決断に至った個人を責めるものではなく、教育の不備に責任がある。

 

更に、この価値観はあれから70年以上が経過した現代にも色濃く残っているが、特に戦後、昭和の時代は『恥ずかしながら帰ってまいりました』の様な発言に見られる通り、生きて帰ってきた兵隊を苦しめた。

 

中でも、沖縄戦に高級参謀として関わり、生還した中では最高階級であった八原博通に対する評価は余りにも不遇と言わざるを得ない。

 

八原は作戦本部の崩壊後、来るべき本土決戦ではもっと上手く、米国に打撃を与える為にこそ自決せず、民間人に紛れてでも何が何でも生き延び本土に情報を持ち帰る事を画策し、最後は民間人を巻き込んだ玉砕ではなく投降を選択した、当時の日本で見れば異質なまでの合理主義者である。

 

勿論、余りにも軍人として、最後の局面まで勝算を求めた結果、首里の放棄による南転で退避していた民間人へと被害が拡大してしまった選択を非難されるのは仕方がない部分もあるだろう。

 

だが、自決せずに、玉砕せずに生き残ったからといって、彼に対する評価がとても低いのは残念でならない。

 

苦しい局面でも諦めもせず、投げやりにもならない、特に高級参謀という立場ゆえに自分の意見が全て通る訳でもない中で議論に妥協点を見出し、少しでもより良くしていく落とし所を作る精神的なタフさは尊敬に値する人物である。

 

戦後は、高級参謀として沖縄に関わった責任を感じたのか、戦争の話は一切せず、公職には一切着かず、田舎で大変に貧しく暮らしたそうだが、彼の様な人物こそが戦後の日本に必要な人材であったのでないかと、余りにも人として生々しい所を感じない実直さが悔やまれる。

 

晩年、突然に神奈川県の鎌倉に住むと言いだし、そこで生涯を終えたそうだ。

 

八原博通に興味が湧いた人は、彼の苦闘なる日々を綴ったこちらの作品をお勧めする。

 

筆者の稲垣氏は元朝日新聞の記者であるが、かの新聞にも優秀な人材がいる、まともな時代が、あったのだと、知ることができるだろう。

 

 

沖縄 悲遇の作戦―異端の参謀八原博通 (光人社NF文庫)

沖縄 悲遇の作戦―異端の参謀八原博通 (光人社NF文庫)

 

 電車に揺られ1時間で書いた雑文にて失礼。

 

攻殻機動隊(実写版 ゴースト・イン・ザ・シェル)はもっと評価されて良い

今年も大量に、人気原作漫画の実写映画が公開された、又は公開を予定されている。

 

中でも、進撃のナンチャラ再びかの雰囲気を醸し出しているのがハガレン(鋼の錬金術)であるのは間違いがないのだが、今さらウィンリィが金髪じゃない、みたいなディテールを追求するのは、問題の認識が異なっていると思う。

 

(公開された出演者ビジュアルに対して、背景をビッグサイトにしたら納得=コスプレイヤーのイベントに見える、と言うコメントは納得感が有るのはあるとして。)

 

問題の根本は、銀魂の様な、そもそもギャグのネタが日本人にしか解らない様なドメスティックな作品を、既存の※国内向け商売のレールに乗せるのは、低予算でもやりようがあるから、まだいいとして、

そもそも登場人物に日本人なんて1人も出てこない上に、ロケーションだけでも壮大なスケールで、5秒間の錬金術バトル1つとっても大変そうなアクションシーンを抱え、役者の演技力も重要なダークファンタジーでシリアス作風のハガレンを、提供側の都合で、そこに使ってしまうのが問題なのである。

 

※ 国内向け商売とは(私の認識)

 

この原作ならX万人動員は狙えて、更にタレントのAとBを使えばプラスでY万人と言った足し算で作られる、国内しか見ない故に、その制作予算じゃまぁ無理でしょと言うスケールの作品まで実写化する商売。

 

そんな制作ラインに乗せて作られた、原作ファンから見れば最初から敗戦処理の様な(提供側に原作に対するリスペクトがゼロな)作品で、今さら、髪の毛の色が〜、みたいなディテールをツッコむ、なんて意味がないよね、と言うのが私のハガレンに対する意見を見た感想。

 

頑張っては見た結果として、最終的に、う〜ん、となるかもしれないが、ハンガーゲームのジェニファー・ローレンスや、エマ・ワトソンをキャスティングできる様な、世界をターゲットにした挑戦というか、枠組みで、故にビッグバジェット(大規模な予算)で作る、と言うのがスタートラインとしては、より納得感があるのではないだろうか。

 

その出来上がりが、必ずしも原作ファンを満足させるのかと言えば、どうしてもより万人向けにする以上は、キツイ言い方をすれば『バカでも泣ける化』しなければならなくなり、

それは炭のままじゃ広がらないので、より多く面積を塗りつぶすために墨汁にすると炭愛好家が、「違う、炭じゃ無いじゃないか」と激怒するのは仕方がない所ではある。

 

ただ、それ以前に、もう国内向けのそこそこ儲かりゃいいよね妥協プランの作品では、ストーリー、脚本や演技以前に、絵が論外なのである。

もうファミコンはおろか、プレステ1の画質じゃ無理と言う意味で。

 

さあ、ここでそれを踏まえて本題、攻殻機動隊(実写)である。

 

現状で、特に熱烈な押井ファン(と思われる人々)からはボロクソに叩かれている、攻殻機動隊(実写)である。

 

この映画は、荒巻にビートたけしを起用するなど、何故最後で日和った感のある詰めの甘いキャスティングが見られるなど、隙は多々あるにせよ、既存の日本しか見てない前述した論外の枠組みとは異なり、ハリウッド水準で制作された、正にビッグバジェットな作品であるのは間違いがない。

 

この点において、私は、現代水準のエンターテイメントとしてバージョンアップさせる事に成功したかどうか、こそが最も重要であり、その観点で、この作品を世間の評価とは異なり好意的に評価できる部分もあると考えている。

 

アニメの攻殻機動隊は、どんなに素晴らしさを語っても、その絵じゃもう無理だよ、それらをリアルタイムに原体験していた人は、今見ても思い出補正で、どうにかなるけれど、そうでなければ通用しないよ、と言う、当時とは異なり、「◯年前に作られたにしては」という前置きが必要な、古さを感じざるを得ない状態だと思う。

 

この辺の感覚は、現在最先端のエンターテイメントとして、何を体験しているかが、感想を分けるのではないだろうか。

 

例えば完璧な画面のコントロールは、手書きのアニメでしか出来なかったのは今や昔で、ゲームの世界ではよりハイクオリティを追求した上で、それを実現しているし、

 

ゲームが実映像への接近、リアルを追求した事で、いわゆるコンピューターグラフィックが実写との境界が曖昧になった結果、実写でも完璧な背景、完璧な画面のコントロールが可能になりつつある。

 

 

 

 今後、どんなフィジカルエリートが挑もうが、これを越えるアクションを行うのは不可能。

不気味の谷を越えた、全編フルCGで作られた完璧なアクションシーンは必見。

 

ファイナルファンタジーの映画化を笑う時代は終わった。

 

 

そして、今や、エンターテイメント界に対する現状認識として、作品がハリウッド映画より売れるのが、そのリアルを追求した表現力を持つゲームなのを理解しているかどうかで、いや、体験しているかどうかで、実写版攻殻機動隊の評価は異なってくると思う。

 

作品が人を虜に、魅了するか、没頭させるか、というテーマにおいても、◯◯を×回観た、みたいな話をしたところで、100時間、200時間が珍しくないゲームプレーには到底及ばない。

 

 

ストーリーや設定、日本向けに日和ったキャスティングなど、叩く為の叩く要素はいくつもあるだろうし、見つけられるだろう。

 

だが、それ以前にスタートラインにすら立てていないと言うか、最初から立つ意思のない作品とは異なり、

 

それはGTA5、ウィッチャー3やフォールアウト4、ホライズンゼロドーンと言った、最新のエンターテイメントに触れている肌感覚を持つユーザーとして、日本のアニメ原作としては初めて、水準に達したと言う視点で評価し、見ておいて損はないレベルであると考える。

 

 

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例えば、これをGTX1080で動いてる最新のゲームです、と言われてもパッと見では違和感なく「おう、かなり頑張ってる作品やね」と受け入れられてしまうかどうか。

 

 

一方で、それらをプレーした事がない様な、つまり最新のエンターテイメントの水準を知らないが故に、一切の評価をせずにアラだけを叩いてる人々を見ると、

若者に人気のバンドに難癖を付ける人達と同じくらい、あの様な時代遅れにはなりたくはないなぁと自戒の念を覚えるのであった。

 

 

 

 

炭愛好家が墨汁になって気に入らない、と言うだけの話で、その感情を正当化する為に大層な理由をつけている様にしか思えない。

 

映画館で観賞した際に隣の席は、10歳位の男の子だった。

彼にとっての映画の、映像のスタンダードが、これになるのであるし、こういった積み重ねにより、世の中のアベレージは間違いなく上がっていく中で、それでも一歩先の最先端にはいつでもキャッチアップしていたいと思う。

 

VRの普及はDMMが勝敗を握るだろう(キリッ

野池キングになれ これからの『釣りのプロ』

ツイッターのプロモーション(広告)枠でイマカツ(今江克隆さんの通称)のコラム記事が流れてきたのを見た。

 

無料で読めるらしい。

 

今江克隆/バス釣りの水平線 連載第18回 | Fujisan.co.jpの雑誌・定期購読

 

文中で使われるタックル、用語等は時代の流れもあるが、内容としては私が『釣りトップ』時代に読んでいた彼のコラムと、読者からの質問というお題をテーマに語る、という点も含めて変わらないなぁという感想を得られ、あの頃を少し懐かしく思い出した。

 

注釈  釣りトップとは学研が発行していた小中学生向けの釣り雑誌で、ブームを先取りして1990年頃はバス一色の内容になっていた。

 

それは、いわゆるワールドシリーズ(っぽい名前のバストーナメント)が始まった頃であり、同紙ではあの村田基さんもバスプロ的な立場で連載している等、黎明期らしい状態であった。

 

ちなみに村田基こと、通称ジムは三ヶ月に一回位、『いかに俺のボートは日本で1番速くて、誰もついてこれないのか』を語り、謎の優位性(まあ確かに有利だけどさ)を誇っていた。

 

 さて、話は戻るが、そんなイマカツ氏のコラムで未だ印象深いのは、読者からの質問で『バスプロになりたいのですが、どうしたらいいのでしょうか』と言う、ショースポーツのトッププロだけでなく、メディア等で活躍している人や、趣味系、又はジャンルとしてファンが多い業界のインサイドにいると受ける事が珍しくはない憧れにより生まれる疑問に回答した記事であった。

 

今にして思えば、まだイマカツ氏自身もサラリーマンの時代であり、バスプロとして駆け出しというか、バスプロと言うもの自体が漠然とした時期であり、プロ野球選手の様に自信を持って少年に明確な道を示すと言う確度で答えるのは難しいかったと思う。

 

それでも氏は、今のテンションと変わらず答えた。バスプロは断言しなければならんのである。

 

『野池キングになれ』

 

その手法の方が鮮烈で(最初は上手い奴に取り入ってでもメソッドを盗んで、いろんな奴から吸収すれば君がナンバーワンだ的な…)、肝心のなぜ野池キングになる事がバスプロに繋がるのか、と言う、風吹けば桶屋理論の部分は記憶が曖昧ではある。

 

まぁ、実際に現在(2016年頃)の状況として、ルアマガでイマカツ氏が言っていたのだが、イマカツが大手メディアでプロモーションしても大して売れなかったルアーが、地元レイクしかやらない地元アングラー(正に野池キング)が徹底的に一つのレイクで釣り倒したら火がついて凄い売れる、みたいな事は起きてるらしい。

 

ただ、別にその時の記事は、そんなネットによる情報拡散により人気や話題が伝播していく時代を未来予知をした訳でもなく、もっとシンプルな地区大会の先に、県予選があって、関東大会、全国大会があり、先ず地区を突破せんと話にならん的な部活ノリの話だった気がする。

 

 

一方であれから30年近くが経つ割には、釣りのプロと言うのが、未だに職業としてプロ野球選手のように確立されてはいないにせよ、活躍すれば良い野池といのは見えてきた気がする。

 

それは何処でも多々起きている構図で、特に紙媒体が最大手のメディアとなる様なジャンルで、個人メディアによる逆転と言う地殻変動である。

 

ここで若干話は迂回するが、街の本屋をAmazonが潰したと言われたが、実の所、Amazon上陸前にコンビニが回転の早い雑誌、週刊誌を中心に年間5000億円を奪っている事実は意外と知られていない。

 

もっとも、その奪った売り上げ自体、売り場面積の争奪戦が激しいコンビニ店頭にてあれだけのスペースを確保し、見た目は派手に売っているが、実はピークの半分以下(年2000億円程度)になっており、象徴的な事例として週刊少年ジャンプの様なキングオブキングスですら凋落しているのが、紙と言う媒体の現状なのである。

 

また、広告媒体としての信用を高める為に、本当に印刷所が発行した部数を証明する、発行部数証明書、というものがあり、先のジャンプを始めとした漫画誌、文春に代表される週刊誌、さらには趣味のジャンルではゴルフ誌などがこれを行なっているが、釣り雑誌は一つもやっている所が無い、というのが、お察しください、と言う事なのだろう。

 

 

このネットによる自分メディアを活用しているかどうかで差が現れ始めたのが、2000年代から10年頃における東京湾シーバスゲームシーンではないか、と最近感じている。

 

大野ゆうき、村岡昌憲、と言う両者が、あれほど圧倒的に支持されている要因として、何処で差がついたのかを考えると、ブログの存在は大きかったと感じる。(これは2010年以前、fimoが始まる前の話で、始まった時は既にトップクラスだった。)

 

レガシーなメディアと言うのは、取材の当たり外れは時々有るにせよ、有る意味で差をつけてくれないからね。

 

この点で、彼らはネット上における『東京湾シーバス池』を制したと言えるんじゃないだろうか。

 

ここで大野さんの様に〜、を目指してブログで行く、本当にプロになるんだ、と言うのであれば、質量共に彼らを越えるって事を先ずやらないとむりなんじゃないだろうか。

 

更に、ブログというのが世の中に広まったのが2000年台前半であり、当時の最先端メディア、それはいわゆるツール、道具であったのに対して、今後、又は今からスタート、という事を考えるのであれば、この先は当然、動画という選択肢が出てくる訳だけど、撮影や編集は思ってるより簡単ではなかったりする、特に一人だとね。

 

この参入障壁は年々、機材の低価格化により解消はされているのだが(昔は動画編集ソフトとか10万円位はした)、特に、現状を見ると、イマカツの様な『釣り人が釣り人として憧れる存在、バスプロの系譜としてのユーチュバー』と言うのはまだ座席が空いてる感はある。

 

 

この点を詳しく説明すると、例えば芸能人が使えば、その圧倒的な発信力で恩恵を得られるパターンというのは実のところ動く商材は限られ、どちらかと言えばジャンルを発展させる存在であり、大成功すれば、かつてのバスブームでいうと、木村拓哉とか奥田民生糸井重里(その他大勢)であり、時にジャンル規模を拡大するパワーを持つ。

 

一方で、イマカツの系譜にあたるプロというのは、フォールの姿勢がちょっと良い、とか、巻き抵抗が違うとか、やりこんだ人に訴求する商材が中心になり、閉鎖水域で勝つ、正に野池キングにあたる。

 

既存の一定の影響力を持つユーチューバーは前者にあたるが、後者のユーチューバーは今の所、影響力という点で抜け出している人は居ない、という話である。

 

この為、釣りを専任的にして収入を得るという場合、先ずスタンスとして、釣り好き芸能人枠なのか、イマカツ路線なのか、自分がどうなりたいのか、という目的意識は必要であるし、芸能人枠は既に上が詰まりつつある。

 

 

また、芸能人枠で釣りを普及させるというのも、テレビが絶対的な影響力を持っていた時代と比較した場合、簡単ではない。

 

近年、テレビを中心に、レガシーメディアの力というのがバカにされているが、現状の具体的に持ってる数字を分析した上で当時の宣伝力と同じレベルでPRするのであれば、

トップ20迄のユーチューバー全員と契約して、企業案件として釣り動画を上げてもらい、更に企画として日本ユーチューバー釣り頂上決戦みたいなシリーズを2,3年は続ける極めて大掛かりな枠組みが必要だろう。

 

なぜなら視聴率1%の価値が今とは違うし、瞬間の同時視聴数で2000万、3000万人という数字は、視聴層が重複している事により限定される動画とは影響力として桁が違いすぎるのである。

 

 

また、目指せ野池キングだとしても、バスの様に極めて整備されたトーナメントがあるにも関わらず、そこで勝っても物が動かない時代、キングの定義も単純に釣り勝つではなくなっているのではないだろうか。

 

特に、ブログにせよ、動画にせよ、「どう?俺すごいでしょ? みんな凄いって言って!」と言う、ただ自己の顕示欲を満たす為のスタンスで創作しない事を忘れない事が重要だと考える。

 

これはつまり、デカイ魚を釣る、沢山魚を釣る、ある意味、時間さえつぎ込めば達成できてしまうと多くの人が感じている、それ以上の何かを提供する事が求められている、更に言うならば感謝や尊敬を他人から得るとは何かを本質的に考える必要があると思う。

 

 

最近、話題になっているが岡田斗司夫さんは10年近く前から、お金よりも評価が重要になる世の中、評価経済というものを提唱してきた。

 

評価経済社会・電子版プラス

評価経済社会・電子版プラス

 

 

 

iPod touchから電車に揺られる1時間で書いた雑文故にご無礼

(ちょっと説明不足の箇所を加筆修正しました。)

 

 

P.S

 

ところで、イマカツによると今年はマグナムフローティングバイブが、くる!らしい。

 

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それはこれの事なのだろうか。

 

泳ぎを見ようとシーバスロッドでチョイ投げしたら、ロッドのティップがバキッと折れたのでそれ以来封印している因縁のルアーである。