特攻と玉砕と八原博通

毎年、この季節になると大なり小なり話題に上がる、というか不毛な議論を見かけるテーマである。

 

先ず、神風特攻の様な作戦を企画立案した運営の話と、軍という組織の一員として命令を受けた個人では大きく異なる立場の違いを前提に置かなければ、特攻の意味や、無駄な作戦であったのか、とか言ったところで、不毛になるのは当然である。

 

それはつまり、個人として、プライベートライアンで米側兵士の間で使われていたスラングで言うと、フーバーな命令に挑む立場として意味や必要性を見出すのか、更には我々の様な未来から見て、彼らに対し、それらを汲み取り理解を示すのか、という話と、

 

奇襲としての成功体験に傾倒し、完全に対策を取られ、必ず死ぬと言う意味で、作戦に従事すれば必死を当然とする作戦としては効果が低すぎるのを解りながらも継続し続けた運営の責任であり、その作戦自体の必然性を問う議論が噛み合う訳はないのである。

 

例えば映画プライベートライアンでは、「1人の為に9人が死ぬのか」というフーバーな作戦に対し、作戦に従事した隊の隊長は「この戦争で人に話せる様な立派な事を1つくらいしたい」と本人が、運営側の意図とは異なり、落とし所を見出したシーンが描かれる。

 

それに対して、仮に作戦に従事する9人全員が戦死する確率が高いとして、「4人兄弟の内、3人が同時に死んでしまった末の弟を母親の元に返す」為に企画立案したのはどうだったのか、と言う評価をする事は、根本的に全く異なるという事だ。

 

そして、今や享年は私の半分以下の方が多い神風特攻に従事した彼らに対し、こんな作戦など無駄であったなどと言うのは、余りにも無礼であり、特攻を論じたいのであれば、決して誤解を与えない様に、そういった前提をくどい様に明示しなければならず、この部分で誤解を避ける努力が余りにも足りていない論者が目立つ。

 

特攻という行為の賛美ではない、特攻に従事するにあたり、その意味を苦しみの中で見出し、自身は必死の運命だとしても残される者に、後世に希望を託すことで、精神的な意味で死中に活を求め飛んでいった若者達に感謝の言葉を送ったり、褒め称えたとして、何が悪いのだろうか。

 

例えば、永遠のゼロで描かれるのは、この飛び立っていく人間の精神性である。

 

そして神風特攻の効果は初期段階では一体のものがあり、末期でも弾薬の損耗や、警戒体制の維持しなければならない等の効果はゼロでなかったにせよ、それらは「死んでこい」と命ずる必死の作戦の効果として妥当なのか、という点において、批判は免れないであろう。

 

そして、昨今において「特攻の賛美だ」と苛烈な批判が出るのは、戦後においてもまだ、それら作戦立案や運営に関わった生き残った側による自己保身や自己正当化が行われた結果でもあるが『本当に勝利を最後の瞬間まで追求していたのか』という点で、右翼なのか極右なのか、わからないが、そちらの方面の方々にも考えて頂きたい。

 

日本には未だに、どうせなら最後は美しく散る的な、苦しくなった勝負を途中で投げ出す、脆弱な精神を表した逃げ口上が、価値観が、根強く存在している。

 

これを戦時に色濃く反映したのが玉砕行為であり、神風特攻の効果が低いと解っていながらも継続されたのを後押しした。

 

かつて、生まれながらに身分として、持つ者と持たざる者が立場として明確な時代、『死より重い名誉』は確かに世の中に存在した。

 

しかしそれは個人、せいぜい家の話であり、国家対国家の枠組みで、全体として、チームプレーとして勝つ為には無用な概念であり、それを最優先してしまう事、それに至る選択をしてしまう、人材育成、つまり教育が間違っていると言える。

 

また映画の話となるが、ザ・グランドエスケープ(大脱走)という作品をご存知だろうか。

 

英米のスターが集結し、マックイーンの代表作となったこの作品は、第二次大戦においてドイツの捕虜収容所を舞台にした、脱獄計画をメインストーリーとしている。

 

「もし捕虜となれば、脱走を計画し、敵後方を撹乱せよ」

 

作中に何度か出てくる彼らの概念として、合理的に勝利を目指した英米は、捕虜を保護しなければならないという条約を逆手に取る教育を兵士に行なっていたのが解る。

 

全体での戦いとして、相手に負担を強いる、損耗をさせていく中で、捕虜を管理する重さを理解し、状況を最大限に利用していく。

 

これと対比すれば玉砕というのは、いかに個人的で全体での勝利を放棄した「最後まで勝算を求める行為」には程遠いだろうか。

 

ただし、これは先の特攻で述べたように、その決断に至った個人を責めるものではなく、教育の不備に責任がある。

 

更に、この価値観はあれから70年以上が経過した現代にも色濃く残っているが、特に戦後、昭和の時代は『恥ずかしながら帰ってまいりました』の様な発言に見られる通り、生きて帰ってきた兵隊を苦しめた。

 

中でも、沖縄戦に高級参謀として関わり、生還した中では最高階級であった八原博通に対する評価は余りにも不遇と言わざるを得ない。

 

八原は作戦本部の崩壊後、来るべき本土決戦ではもっと上手く、米国に打撃を与える為にこそ自決せず、民間人に紛れてでも何が何でも生き延び本土に情報を持ち帰る事を画策し、最後は民間人を巻き込んだ玉砕ではなく投降を選択した、当時の日本で見れば異質なまでの合理主義者である。

 

勿論、余りにも軍人として、最後の局面まで勝算を求めた結果、首里の放棄による南転で退避していた民間人へと被害が拡大してしまった選択を非難されるのは仕方がない部分もあるだろう。

 

だが、自決せずに、玉砕せずに生き残ったからといって、彼に対する評価がとても低いのは残念でならない。

 

苦しい局面でも諦めもせず、投げやりにもならない、特に高級参謀という立場ゆえに自分の意見が全て通る訳でもない中で議論に妥協点を見出し、少しでもより良くしていく落とし所を作る精神的なタフさは尊敬に値する人物である。

 

戦後は、高級参謀として沖縄に関わった責任を感じたのか、戦争の話は一切せず、公職には一切着かず、田舎で大変に貧しく暮らしたそうだが、彼の様な人物こそが戦後の日本に必要な人材であったのでないかと、余りにも人として生々しい所を感じない実直さが悔やまれる。

 

晩年、突然に神奈川県の鎌倉に住むと言いだし、そこで生涯を終えたそうだ。

 

八原博通に興味が湧いた人は、彼の苦闘なる日々を綴ったこちらの作品をお勧めする。

 

筆者の稲垣氏は元朝日新聞の記者であるが、かの新聞にも優秀な人材がいる、まともな時代が、あったのだと、知ることができるだろう。

 

 

沖縄 悲遇の作戦―異端の参謀八原博通 (光人社NF文庫)

沖縄 悲遇の作戦―異端の参謀八原博通 (光人社NF文庫)

 

 電車に揺られ1時間で書いた雑文にて失礼。